日本人という不思議

「クールジャポン」なんて、さも日本は世界から見たら特別の国でカッコイイとか、ありえないくらい親切な国民とかそんなテレビ番組やYoutubeが見られる。それってどうなんだろう。おそらく各国それぞれに歴史や文化や国民性があって、それぞれに良し悪しはある。

他国との比較ではなくて日本という国をもっと良く知ることが大事なのだと思う。その上で日本人の気質を考えてみると客観的な理解ができると思う。日本はよく極東と言われれる。何故か。海外で使用されるスタンダード地図を見れば日本は最も右側の国つまり極東。中心はというとアフリカ、ヨーロッパ。西は大西洋を挟んでアメリカ大陸が位置し、日本より東は太平洋の海でそれは分断されハワイなどは省略されている地図もある。最も経度的にはロシヤの東側やニュージーランド等はより東に位置している。私は最果てに近づけば近づくほど人は混血が増えていくと考える。それはもしかすると中央(中心)とされる地で争いがあって勝者はその地に留まり支配をして、敗者は追放されるか様々な地へ逃れていく。あるいはそんな争いに嫌気がさして新たな開拓地へ希望をいだいて移動する。西は大西洋を船で渡り、アメリカ大陸へ。東はユーラシア大陸を伝って最終的に極東の地日本へ。実際にDNA鑑定で日本人は土着縄文人と渡来弥生人が混合し、特に弥生人は大陸の様々な血が混合していたようだ。よく大昔のユダヤ10部族のいくつかが日本までたどり着き、仏教伝来前の宗教としてユダヤ教が日本古来の神道になったのだと聞く。実際に神の祀り方や日本語の発音には共通するものがあるらしい。そう言われると日本人の顔もモンゴル、中国、韓国から中東系の顔まで様々あるように見える。また八百万の神という考え方は日本人ならではないか。外から入ってきた宗教や神様その場にある自然に宿る神まで存在している。人々が争いを避けるため、お互いに信じるものを尊重しあう「和の精神」にいたったのかもしれない。海外では別の神の共存などありえないようだ。日本人の本質としてあらゆるものを受け入れて融合させていくDNAが備わっているのではないだろうか。

しかし、それも今や外国からの圧力やグローバル化、ボーダレス化で融合ではなく画一的な価値観の押し付けや培った文化を無視した全くの塗り替えを迫られているように思う。残念ながら、その事に気づいていないのもまた私も含めた日本人の愚かさであり人の良さといえる。日本人は島国根性とか井の中の蛙とか、確かに世界的に見ると稀有な存在の反面、それはクールジャパンであり他の国では成り立たない、あるいは大陸では生きていけない気質なのかもしれない。であればこそ守るべきは守り、受け入れるものは受け入れて上手く融合するのが日本人の真骨頂のはずだ。そのバランス感覚まで失ってはならないと思う。

日本人よ、比較や争いをしないため敢えて愚かに見せるのは良けれど、愚かになってはいけない、賢くふるまって真の意味で外国人が羨む国であり、その民でありたい。

富士山

ご存知日本の象徴であり、日本一高い山。富士山が見える家はそれだけで家相が良いなんて聞いたこともある。天気が良ければ北は福島から西は和歌山まで見えるらしい。関西の人が新幹線で東京に来るときに車窓から富士山が見えるととても幸せで嬉しいという話を聞く。そう富士山は昔から日本人に大事にされ愛されてきた山であり、今後も人が壊さない限りそれは変わらないと思う。日本は狭い土地に多くの山、山脈があってそれは神格化されてきた。修験者(山伏)は十字を切って(結界を張って)山に入り修業を積む。仏教の千日回峰行もひたすら山を歩き続ける。山には本来人が持っている霊性を高める何かがある。何年か前に長野と岐阜の境にある御岳山が爆発した。この山は昔から信仰の山で修業を積んだ聖者や修験者でなければ登ってはいけない山だった。今は木曽路もトンネルや舗装道路が増え車であれば時間もかからず快適に御岳山の中腹までは行ける。私も父を連れてそこまでマイカーで上がったことがある。霊山と聞いていたので、正直その観光地化したギャップに驚いた。何とスキー場があってリフトで中腹まで登れる。しかし、今でもその時の感覚を覚えているが、ここから先、上へは安易に行かせない寄り付かせないという威圧感と恐怖を感じた。ガスっていたのもあったと思うが頂上付近は雲が立ち込め、ときおり見える厳しい外形から地獄の一部を見せられたようなそんな空気が立ち込めていた。その時父は何故かいつか自分が亡くなったら、その遺影を持ってこの山に登ってほしいと言った。それから2年後に噴火があって登山者に犠牲が出た。幸い父は今90半ばを超えても元気でいてくれるのでその約束を果たさずに済んでいる。さて日本は神の宿る国といわれる。山は深い森を創り多くの植物と動物を育む。そして水を溜め川が流れて海に至る途中の多くの土地を潤してくれる。それは正に循環という自然の恵みであり、そんな山には神が宿っているのだ。日本の山の王者である富士山その裾野は樹海が茂り湖も多く広大無辺。実は富士山も霊山で安易に登る山でなく下からあるいは遠くから神々しく眺める崇める山だと思う。最近世界遺産になってから登山者が増えごみが増え荒れていると聞く。流石に行楽シーズン5合目までのマイカー乗り入れが一部出来なくなっている。それでも登山するのであれば富士山に敬意を払い「六根清浄」の意味を心に刻んで感謝の気持ちで登ってほしい。私は中々富士山に登る気になれないのだがいつか登ろうと決めた時はそうして登ろうと思う。富士山は観光で何度も登る山でなく一生に一度登る山、あるいは眺めた時に心の中で手を合わせる宝来山なのだから。

公園にある幸せ

コロナで不要不急の外出禁止。今ではどこまでこの言葉に意味があるのかよくわからない。 油断ではないにしろむしろ今の人出はある意味冷静さを保っているのではないだろうか。  休日の公園に行ってみるとその人出に安心する。若い人は都心へ出ようとするが子供を持つ家族や高齢の夫婦は近くの大きめの公園で楽しんでいる。そして、そこには家族の数だけ幸せをかいま見る事ができる。大声を出して芝生を走り回る子供。一緒になって子供のように走る父親。それを見てほほ笑む母親。絵に書いた家族。でもそこには何の装飾もなく今を楽しむ本当の幸せがある。ベンチに座ってまっすぐ前を向いて語らう老夫婦。多くを語らずとも気持ちが伝わっているのだろう。そこには飾った言葉もないが一言一言にきっと愛情がこもっているのだと思う。きっとそんな夫婦の関係になるまで多くの苦悩があっただろうと思う。私は妻とそんな夫婦になれるのだろうか。疑いや迷いからは何も生まれない。お互いを信じるしかないのだから。休日ながら先生と生徒の姿があった。公園で生徒が何かを調べているようだった。休日でも生徒に寄り添う先生だから志を持った教師に違いない。年配の女性グループで楽しそうにしゃべりながら散策する光景も見られた。年齢を重ねて社交的に活動して元気になるのは男性より女性の方が優れているようだ。公園にはこんな人の営みを自然に見せる魅力がある。季節の草花が彩りよく絵画のように植えられている。雑草を抜き枯葉やごみはまめに掃除され、剪定を行い整然と並ぶ木々たち。噴水やせせらぎ。決して自然のままの姿ではないけれど、そこには公園管理の人が一生懸命整備した心が現れている。きっと人々が公園で楽しむ光景を遠目に見て幸せを感じていることだろう。ひっそりとおかれたモニュメント。絶妙に配置された木のベンチ。そんな心配りに心安らぐ。

独りでもいい公園に行こう。たくさんの幸せがきっと私を幸せにしてくれるから。

テレワーク

昨年春から今に至るまでコロナ禍で出社もままならないという状況。一時緩んだ時期もあったが感染者の増加でまた非常事態宣言とは。医療現場の崩壊、現場の医療従事者は実際に大変な状況だと思う。関われる医療者が限られていて入院ベット数も決して多くはない。指定感染症2類が問題で一般の医療では対応できないのだから5類に下げろとか。国も政策が中途半端で全く逆のGotoキャンペーンから飲食店規模に関わらず一律の補助金支給等。かなり矛盾してつけ焼きは否めない。誰もが思う全国的にロックダウンして3週間で何とか国内コロナ撲滅を。これもその間の国民全員の保証と海外からの入国制限鎖国が条件になる。どれもそれぞれの立場で考えれば間違いではなく、あっちを立てればこっちが立たずのカオス状態だ。思うにこれは集団免疫ができなければ収束は難しいのかもしれない。毎日せっせと手洗いやアルコール消毒、うがい、閉鎖空間ではマスク着用しできるだけテレワークで自宅勤務と国民の多くは粛々と従っている。テレワークもある意味罪なもので、本音をいうと自宅では会社のように長時間の集中は継続しないし、意識も薄れる。よって効率も低下する。ところが日本人はよく飼いなされており、本来リラックス空間である自宅でPCに向かい就業時間は無理やりでも仕事をしようとする。何故なら会社から給与をもらっているし、そうしなければ給与泥棒の怠け者で罪人とさえ思ってしまう。はい、わかります。私もそうだからです。

さて父親というの立場はどうもいけない。最近の家庭では分が悪く、一人のけ者扱いされがちに。母親は子供と日々べったりなので喧嘩はしてもいざとなると結束する。今までは会社帰りに飲んで一日のうさを晴らして気分良く眠りに帰った家が、いきなり一日中家で仕事かつ朝から晩まで出ないとなると妻にとっては正直邪魔以外にない。口に出さずともそれは分かる。テレワークで家族バランスや夫婦関係がおかしくなる家も多いだろう。私はテレワークの時は必ず散歩をしている。時には車で多少離れた場所に行き気分転換もする。その時は怠け者、罪人という後ろめたさを拭い去りバカボンのように心で叫ぶ。これでいいのだー!