諸行無常

昨年来、新型コロナ禍のパンデミックで世の中は翻弄され続けている。テレワークが進み多くの人は家で過ごす時間が増えて生活が一変した。もちろん企業や業種によって特需で巣籠りどころか休む間はない所もある。人々は当たり前のようにマスクをして外を歩いている。そしてできるだけ近づかないよう距離をとるソーシャルディスタンスだ。間もなくワクチン接種が叶いそうだが元の生活に戻れるのか。恐らくそうはいかないだろう。政府もこれを機に週休3日や就業の仕方を変える働き方改革を一気に進める意向のようだ。人生100年時代。これは老後をゆっくり過ごして長寿を楽しもうというのではなく、できるだけ長く死ぬまで働いてもらおうという事らしい。確かに人口の年代別の分布図から見ても高齢者が多く頭でっかちな形で不安定。構造上高齢者を支えるはずであった中若年層が少ないから経済的に自分で自分を支えなければならない。

日本はかつて外国が羨む理想の社会(社会主義的資本主義、護送船団社会)であった。そして幸福の意識度が高い北欧社会のように税金は高くとも国民のため教育費は無料、老後はお金の心配無く安心して暮らせる福祉社会も実現できた。しかし、そこに舵を切らなかった。結果一億総中流どころか貧困になってしまった。もちろん一部は貧困層の生き血を吸って潤っている者もいる。お金がお金を生みお金がなければずっと貧しく貧富の差は広がる一方だ。恐らく日本人は政治に何も求めていないのではないか。多くの国民は会社員で税金をしっかり払っているのにその意識が無い。自分で税務署に払いに行けばもっと政治に関心が向くと思う。こんなに払っていて一体何をしてくれるのか。直接自分に返ってこなくとも弱者を救えているのか、公共事業が真に役立って社会や文明の発展に貢献できているのか等少しは考えるのではないだろうか。本来マスメディアがそこを監視し指摘して、国民に情報開示をすべきところを政府に脅され骨抜きにされている。その政府はというと外圧で首根っこをつかまれ外国の言いなりになっている。何も外国と喧嘩しろとは言わないがせめて舐められないように主張すべきはして矜持を持って外交をしてもらいたい。といっても政治家や政党を選んできたのは私たち国民なので、政治は民力の現れなのかもしれない。日本人は謙虚になりすぎて自信を失っているのだと思う。

どんなに世の中がおかしくなろうとも春になればまた桜が咲いて風が吹けば花は散る。こんな危うい世の中に生まれてくる命もあれば去り行く命がある。常に世の中は移り変わり、一時として止まることはない。諸行無常だ。大きな変化と小さな変化が繰り返されてきた。 しかし、それはけっして空しいものではなく、より幸せになるための真理に近づくための道であって歩み続けるしかない。人が世の中をおかしくしても、人と繋がりがあるから救いとなって歩んでいける。日々反省でも、0.1mmでも良いから前を向いて歩こう。きっと素晴らしい世界が待っている。

巣立ちの時

動物はその時期が来ると必ず親から離れて独りで生きていく。それまでは親兄弟と暮らして親の狩りの様子や外敵から狙われても保護下にあるので何とか守ってもらえる。人も本来動物と同じはずだが、必ずしも親元を離れなくとも実家で独身を貫く人もいる。しかし親は心配になる。親はいつまでも子供の面倒を見ることはできないからだ。だからよく聞くのが身体に障害がある子を持つ親は自分の目が黒い内に一人でも生きていけるようにわざと厳しくするという。 私はどちらかというと親離れ、子離れにも時間のかかる方だと思う。

子供は二人いて男兄弟。昨年まで下のが家を離れ名古屋で勤務し帰ってきたと思ったら、今度は長男が大阪勤務となる。どちらも離れる時はやはり寂しいものである。特に男同士お互い普段から多くを語ることはないが、そこは親だからどこかで様子を気にしている。独りで大丈夫か。社会に順応するだろうか。無茶をしていないかといらぬ心配をする。親になって初めてその気持ちがわかる。自分も両親にそんな心配をかけてきたのだろう。

さて子供を心配するよりいよいよ自分の今後の生き方を考えねばならない。私は会社から巣立ちをしなければならない。間もなく定年なのだ。その後の雇用もこういうご時世なのでどうなるかわからない。人生第2幕の始まりだ。自分のやりたい事をして生きるあるいはより社会に役立つボランティア的な考えも湧いてくる。年金はあてにならないので自力で稼ぐ必要がある。サラリーマンは給料日になると自動で定額のお金が銀行に振り込まれる。それによって毎月の住宅ローン、水道光熱費が払える。食費も確保できる。多少のこずかい遊興費もある。ところが辞めた途端、それがいきなり0になる。つまり生活基盤が無くなるのである。自分で現在の給与分を稼ぐのは容易い事ではない。それでも生きていかねばならない以上何かしらお金を稼ぐ方法を見つけねばならない。

コロナ禍で今後のビジネスは今までと変わる。このブログではないがコミュニケーションツールはネット依存型となり、バーチャル社会で多くの事が済むようになる。私はそれを良しとしないがこの流れは止められない。但し、そのことによって逆にリアルの重要性が高まると思われる。いずれにしても物事はどちらか一方に偏るとバランスが崩れるのでバーチャル同様、如何にリアルを進化させるかにかかっている。そこにビジネスのヒントがあると確信しつつ、自分ができる事でそれが何かの確信がまだ持てずにいる。今、確信を見つけようと努力している。しかし時間的なリミットがある。もし時間内にそれができなくても巣立ちせねばならない。もしかすると確信などただの幻想かもしれない。

恐れるものは何もない。後は勇気と希望を持って、明るい未来に向けて羽ばたくだけなのだ。