巣立ちの時

動物はその時期が来ると必ず親から離れて独りで生きていく。それまでは親兄弟と暮らして親の狩りの様子や外敵から狙われても保護下にあるので何とか守ってもらえる。人も本来動物と同じはずだが、必ずしも親元を離れなくとも実家で独身を貫く人もいる。しかし親は心配になる。親はいつまでも子供の面倒を見ることはできないからだ。だからよく聞くのが身体に障害がある子を持つ親は自分の目が黒い内に一人でも生きていけるようにわざと厳しくするという。 私はどちらかというと親離れ、子離れにも時間のかかる方だと思う。

子供は二人いて男兄弟。昨年まで下のが家を離れ名古屋で勤務し帰ってきたと思ったら、今度は長男が大阪勤務となる。どちらも離れる時はやはり寂しいものである。特に男同士お互い普段から多くを語ることはないが、そこは親だからどこかで様子を気にしている。独りで大丈夫か。社会に順応するだろうか。無茶をしていないかといらぬ心配をする。親になって初めてその気持ちがわかる。自分も両親にそんな心配をかけてきたのだろう。

さて子供を心配するよりいよいよ自分の今後の生き方を考えねばならない。私は会社から巣立ちをしなければならない。間もなく定年なのだ。その後の雇用もこういうご時世なのでどうなるかわからない。人生第2幕の始まりだ。自分のやりたい事をして生きるあるいはより社会に役立つボランティア的な考えも湧いてくる。年金はあてにならないので自力で稼ぐ必要がある。サラリーマンは給料日になると自動で定額のお金が銀行に振り込まれる。それによって毎月の住宅ローン、水道光熱費が払える。食費も確保できる。多少のこずかい遊興費もある。ところが辞めた途端、それがいきなり0になる。つまり生活基盤が無くなるのである。自分で現在の給与分を稼ぐのは容易い事ではない。それでも生きていかねばならない以上何かしらお金を稼ぐ方法を見つけねばならない。

コロナ禍で今後のビジネスは今までと変わる。このブログではないがコミュニケーションツールはネット依存型となり、バーチャル社会で多くの事が済むようになる。私はそれを良しとしないがこの流れは止められない。但し、そのことによって逆にリアルの重要性が高まると思われる。いずれにしても物事はどちらか一方に偏るとバランスが崩れるのでバーチャル同様、如何にリアルを進化させるかにかかっている。そこにビジネスのヒントがあると確信しつつ、自分ができる事でそれが何かの確信がまだ持てずにいる。今、確信を見つけようと努力している。しかし時間的なリミットがある。もし時間内にそれができなくても巣立ちせねばならない。もしかすると確信などただの幻想かもしれない。

恐れるものは何もない。後は勇気と希望を持って、明るい未来に向けて羽ばたくだけなのだ。

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