幸せって何だっけ。

幸せは感情が心地よくなる事だよね。じゃあ、どんな時にそう感じたり思ったりするのか。 お金を沢山稼いで広くて豪華な家に住み、高級外車に乗って、好きな時に海外旅行に行って、美味しものを食べられて優雅に暮らす。これは確かに幸せといえるだろう。しかし、これが独りであったらどうだろうか。もちろん人付き合いが煩わしいから独りが一番という人はいる。しかし多くの人は恐らく楽しくても独りでは何か空虚ではないだろうか。少なくとも完璧な幸せとはいえないのではないか。幸せを感じられるのは、大抵は他者が絡むのではないだろうか。

贅沢をする事が出来なくても日々忙しくても、家族が健康でお互いを慈しみ、気にしあっている方が幸せを感じるのではないだろうか。それは家族でなくても友人でも良い。何か自分が努力して得られた結果であっても、必ずそこには他者の力が働いているし、支えがあっての事。仮に全て自分でやって成功しても他者の祝福や一緒に喜ぶ者がいた方がより幸せなはずだ。これは共感や同時体験というある種の親和性が充足を生むからだと思う。誰かが幸せそうな姿を見て祝福するのも幸せだろう。だから結婚式が成立してように思う。ただ表面上はそう見えてもひがみ根性が強ければ心の中で門出に不幸を願う不届き者もいるかもしれないが(笑)。

またもっと根本的な事をいうとお金がなくても衣食住が足りていたら、恐らく多くの人は幸せを見つける事ができると思う。それは生きる上での基盤であって食べられなくなる、住む家が無くなる、そういう不安がなければ恐らく自分の好きな事に注力し、自然環境と触れ合って生きていける。恐らく毎日に変化があって飽きることが無いだろう。農業などは正に自然が相手で気候次第で豊作もあれば、全くの不作もある。しかし最悪自分や家族の食べる分さえ確保できれば何とかなる。というか本来生きるとは自分や家族のため食べ物を調達するのに日々の大半の時間を費やすのが真の姿だ。これが文明や科学の発達で分業化され専門家されて、それ以外の仕事をするようになった。そしてそれらの多くは必需品どころか不要なものかもしれない。

さて、今新型コロナが世界を変え、社会を変え、価値観を変え、生活を変えようとしている。しかも幸せの大事なファクターである人との繋がりを遮断し、お金が回らなくなって多くの人の生活基盤は失われつつある。それでも生きるという原点に戻って考えてみると、自ずとやれねばならない事の優先順位は定まってくる。これからはAIやロボットが人の多くの仕事をやってくれようになる。人の仕事を奪われると考えるより、根本的なやるべき事に集中できるようになり、それは意外と幸福感を充足させるものになるかもしれない。コロナというピンチを人生を変えるチャンスと捉えて生きていこう。

きっと真の幸せがみつかるはずだ。

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