テロや戦争が無くならない。人類の歴史は戦争の歴史といっても良いのかもしれない。
人は何故争うのか?少しでも相手より優位に立とうとするから?人が人を支配しようとするから?被害を被ったら、そのリベンジを果たそうとするから?戦えない腰抜けと思われたくないから?自国やその民や家族を守るため?侵入してきたものから領土を奪われないように守るため?人や国のためでなく自分が信じる神のため聖戦をする。そして兵器ビジネスの売上向上お金という利益を得るため……。戦争にはあらゆる理由が考えられる。
結果、戦争で人は死に住まいや人権を奪われ悲しみに苛まれる。戦争に犠牲はつきものだから仕方ないなどと、戦争を起こした当事者(政治家や軍師)がそれを言う。笑えるのはその当事者は最前線で先頭に立って戦わず、安全な場所で戦略を練り指示を出して、従順に戦うものを叱咤激励し、国の英雄として称える。民を巧みに操り自分の代わりに戦争をさせる。
国と人は違う。本当に人々は戦争を望んでいるのか。ウクライナの人はロシア人を恨み、ロシア人はウクライナ人が元々憎いのか。国やマスメディアの情報で煽られ、戦争が始まってお互い被害が出たので後から憎しみが生まれたのではないのか。どの国にも良い事する人もいれば悪い事をする人もいる。それを無理やり国という単位で一括りにして善悪を判断してしまう。
この世は各国の政治家や一部の大資本家で牛耳られている。それを世間では陰謀論という。 しかし資本主義が席捲する世界では構図としてそう考える方が自然だ。彼らは国のためなら民の犠牲はやむを得ないと考える。更に言うなら自分たちが住みやすい環境を作るためなら他人を犠牲にできる。死ぬのは庶民で自分たちではないのだから。彼らはこの世を支配するエリート選民なのだ。それじゃ選民であれば人の命をないがしろにしても良いのだろうか。そんな訳がない。
本来人は皆、出来るだけ争いを避けたい。生きていることに感謝し、他人を信頼し尊重して、譲り合えれば戦争はなくなる。そんな事はありえない、おとぎ話だと笑われようとも、我々は理性も道徳も文化も哲学も兼ね備えた人間なのだから、そうありたいと願う。