公園にある幸せ

コロナで不要不急の外出禁止。今ではどこまでこの言葉に意味があるのかよくわからない。 油断ではないにしろむしろ今の人出はある意味冷静さを保っているのではないだろうか。  休日の公園に行ってみるとその人出に安心する。若い人は都心へ出ようとするが子供を持つ家族や高齢の夫婦は近くの大きめの公園で楽しんでいる。そして、そこには家族の数だけ幸せをかいま見る事ができる。大声を出して芝生を走り回る子供。一緒になって子供のように走る父親。それを見てほほ笑む母親。絵に書いた家族。でもそこには何の装飾もなく今を楽しむ本当の幸せがある。ベンチに座ってまっすぐ前を向いて語らう老夫婦。多くを語らずとも気持ちが伝わっているのだろう。そこには飾った言葉もないが一言一言にきっと愛情がこもっているのだと思う。きっとそんな夫婦の関係になるまで多くの苦悩があっただろうと思う。私は妻とそんな夫婦になれるのだろうか。疑いや迷いからは何も生まれない。お互いを信じるしかないのだから。休日ながら先生と生徒の姿があった。公園で生徒が何かを調べているようだった。休日でも生徒に寄り添う先生だから志を持った教師に違いない。年配の女性グループで楽しそうにしゃべりながら散策する光景も見られた。年齢を重ねて社交的に活動して元気になるのは男性より女性の方が優れているようだ。公園にはこんな人の営みを自然に見せる魅力がある。季節の草花が彩りよく絵画のように植えられている。雑草を抜き枯葉やごみはまめに掃除され、剪定を行い整然と並ぶ木々たち。噴水やせせらぎ。決して自然のままの姿ではないけれど、そこには公園管理の人が一生懸命整備した心が現れている。きっと人々が公園で楽しむ光景を遠目に見て幸せを感じていることだろう。ひっそりとおかれたモニュメント。絶妙に配置された木のベンチ。そんな心配りに心安らぐ。

独りでもいい公園に行こう。たくさんの幸せがきっと私を幸せにしてくれるから。

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